金融の世界史 第1章 金利も銀行もお金より先にあった
第1章 金利も銀行もお金より先にあった
【古代メソポタミア時代】BC4000~
メソポタミア文明初期に穀物生産が増大
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収穫物の再分配の仕組み(徴税制度の始まり)
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正確に記録する必要性
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タブレットの利用
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農産物から不動産取引もタブレットで
紀元前1823年(4000年前!)に発見されたタブレットには利子付きの証券が出回っていたそう。利率は20~40%とか。
ただし、インドやフィリピンでは2倍を超える利率が標準であったことから、メソポタミアは比較的豊かな文明を築いていたとされる。
【新バビロニア時代】BC700~
現代の総合商社に似た銀行のような業態が登場(エジビ家やムラッシュ家)
王に対する資金の貸付、小切手、為替手形、不動産ローンの買い取り。現代でいうベンチャー投資など幅広く行っていた。
しかし、管理された貿易、市場の未発達など現代と異なる点も多い。
参考リンク
1941 決意なき開戦 ー現代日本の起源ー
こちら読みました
堀田さんは最初この本をアメリカで出版しその後の反響を受けて日本語でも出版しました。そのためか、少々日本語として読みずらい気もしますが気にする必要はないと思います。
本書では日米開戦に至るまでの経緯を一次資料に基づきながら説明しており、戦争を防ぐチャンスは何度もあったと主張。しかしそれらを生かすことが出来なかったのは、
・日本がアジアのリーダーにならなけらばならないとした帝国主義的イデオロギー
・海軍、陸軍をはじめとした各幕僚の縦割り
・組織間の不必要な帰属意識と競争意識
・中国撤兵などの意思決定による政治的リスクをとりたがらない
など原因はたくさん考えられます。
ただ何とも言い難いのは、結局いつどこでだれが悪かったのか、白黒つけて示すことが難しいということです。個人の問題なのか、組織なのか、政治制度なのか、それとも日本人の文化的な背景によるのか。本書で一つ学べることは、これが分からないということでしょう。
以下引用
・ナチスが中立条約を破棄してソ連に侵攻した際、三国同盟破棄のチャンスが訪れたが、松岡外相と東條陸相は破棄に反対した。
・仏印(ベトナム)進駐の際、ルーズベルトから米大使の野村に仏印中立化案が提案された。資産凍結や石油の禁輸解除、日中問題との切り分けなど、好条件で和平交渉が可能であったにも関わらず、外相の豊田、首相の近衛が世論・軍部を振り切って決断することが出来なかった。
・その後、近衛とルーズベルトの首脳会談に向け、南進派の軍部からも合意が取れたにもかかわらず、上記の中立化案を先に拒否してしまい、交渉の道がさらに狭めた。
・東條は、戦略研究生たち全員が演習で日米戦争における日本の敗北を結論付けた(そもそもフィリピンの米軍によって石油の輸送路を絶たれることは明らか)が、日露戦争を引き合いに出して「勝てると思わなかった日露戦争に、大和魂で勝ったのだ。机上の空論ではないのか」と反論。これに対して研究生の開戦反対派の筆頭である志村は「それならアメリカにもヤンキー魂がある。一方だけ算定して他方を無視するのは間違いです」と反論。
・気高い血筋も知性も、効果的なリーダーシップの保証ではなかったことを、身をもって証明した。政策が決められる議論の場で、自分の意見をはっきり述べず、自身の手を汚すことを極端い嫌い、事なかれ主義に走り、対立を避け続けた成れの果てが、外交交渉と開戦準備の期限付きの同時進行だった。ー近衛についてー
・1941年秋、アメリカは日本の500倍の石油、12倍の銑鉄、9倍の鋼塊と銅、7倍のアルミニウム産出量があると報告された。産業分野も含めると、アメリカの工業生産能力は日本の74倍以上という数字になった。
・1941年7月、年初の御前会議で「対英米戦ヲ辞セズ」とした見せかけの決意が、日本の外交方針の不可侵かつ最優先事項として君臨していた。9月の御前会議で、外交起源という物理的要素が加わったその「決意」は、さらにその重要性、緊急性を増した。すでに弾みがついてしまった開戦準備に対抗するのは、至難の業となっていた。
人はなんで生きるか
こちら読みました
以前紹介した「光あるうち光の中を歩め」の作者と同じトルストイの書いた本です。
トルストイは晩年、宗教的な思索が含まれ・一般の方にも読みやすい作品を執筆していきます。「人はなんで生きるか」はその中の代表的な一冊です。
「戦争と平和」、「アンナカレーニナ」といった長編小説がトルストイの作品として有名ですが、難解かつ分量が多いため理解しにくく、今回紹介するような短編のものでも得るものは多いのでこちらから入ると挫折せずに読み進めていくことができると思います。
100年以上前であっても人々が探し求めているのは「より良い生き方」であり、実際に多くの人々がこの本を通してトルストイに共鳴していました。
童話という形にすることで愛・善・平和といったテーマがくっきりと浮かび上がり、読後は人によくしなきゃな、と改めて感じることもおおいです。
作中の「二人の老人」では、福音書の背景があるものの、形式的な善と本当の善というものをわかりやすく表現してくれています。
トルストイの作品は日本の文学界にも大きな影響を与えましたが一般の認知度は?な状態ですので気になった方はぜひ手に取ってみてください。
文明の衝突
こちら読みました
- 作者: サミュエル・P.ハンチントン,Samuel P. Huntington,鈴木主税
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1998/06/26
- メディア: 単行本
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本書は資本主義対共産主義という構図が終わったのちに、世界はどのような秩序を形成するのかについて述べた本です。
著者はイデオロギー(資本主義、共産主義)の次に来るものとして、文明(文化的なアイデンティティ)を挙げています。具体的には、西欧、ロシア、イスラム、ヒンドゥー、中華、日本、ラテンアメリカといった区分です。
日本の衰退が顕著となった今、主要な大国としてカウントされている日本の扱いに違和感がありますね。
前回紹介した
でも少し紹介したように、ローマカトリック・プロテスタントと東方正教会の隔たりは現在のウクライナ問題にも現れているように重要な要素です。本書でウクライナの分析に多くのページが割かれていましたが、本当に紛争が生じてしまうとは。
また、イスラム諸国での若年層人口の増加が他の文明に比べ著しく、それに伴い問題が生じるという指摘は、アラブの春といった形で現れています。
今となっては当たり前のような記述の数々ですが、20年前に執筆されたとは驚きです。予言の書といわれるゆえんでしょう。
これからの時代、日本は、私たちはどう生き残っていくのか。他国を巻き込むアイデンティティがない日本はこれ以上の拡大は望めず、大国・中国を隣にして微妙なかじ取りを迫られています。
テーマ
歴史上はじめて国際政治が多極化、多文明化している。文化レベルでの文明のアイデンティティが、冷戦後の統合、分裂あるいは衝突のパターンをかたちづくることを示す。
さまざまな文明からなる世界
近代化?(×:西欧化、普遍的な文明)
第1章 世界政治の新時代
20世紀後半に起きた紛争はほとんどが文明・文化を異にする勢力同士の衝突
第2章 歴史上の文明と今日の文明
第3章 普遍的な文明?近代化と西欧化
文明間バランスのシフト
文明間のパワーバランスは変化。西欧は衰えつつある。アジアは拡大。イスラム諸国は不安定。非西欧文明は自文明の価値を再認識。
第4章 西欧の落日:力、文化、地域主義
第5章 経済、人口動態、そして挑戦する文明圏
経済成長率、人口動態から各文明のこれからの動向を予想している。イスラム諸国の若者の割合は他の文明に比べ非常に高く、2020年代まで拡大や対立を引き起こしていくことが予想される。
文明の秩序の出現
文明に根差した世界秩序の出現。文明の更新は不可。
第6章 文化による世界政治の構造変化
第7章 中核国家と同心円と文明の秩序
西欧は普遍主義的な主張を持つため他の文明と衝突。イスラム諸国と中国との衝突は深刻。
第8章 西欧とその他の国々:異文化間の問題点
第9章 諸文明のグローバル・ポリティクス
第10章 転機となる戦争から断層線(フォルト・ライン)の戦争まで
第11章 フォルト・ライン戦争の原動力
文明の未来
西欧、アメリカは内省して非西欧社会からの挑戦に備えるべき。文明間の戦争を避けるには世界の指導者が世界政治の多文明化を理解しそれを維持する努力をする必要がある。
第12章 西欧、様々な文明と単数形の文明
神と革命 ロシア革命の知られざる真実
こちら読みました
通りすがりの書店で目に付いたので手に取ってみたのですが、想像以上に良い本でした。
一般に私たちがロシア革命、ソビエト連邦と聞いてイメージするのは「レーニンやスターリンの独裁」、「共産主義、無神論」といったところでしょうか?
本書ではこのような教科書的な知識が間違ったものであることを示しています。
実はソビエトはプロテスタントに似たキリスト教の一派から生じました。その舞台はイワノボ・ボズネセンスクという新興工業地帯。マックスウェーバーがプロテスタンティズムと資本主義の精神で指摘したような現象が、古儀式派という勤勉な異端宗派から生まれます。
古儀式派と呼ばれる宗派は1666年にロシア正教会がローマカトリックに同調しようとした際に反発して異端認定された教派で、その後のロシア帝国からも迫害される運命にありました。
しかしながら日露戦争後、古儀式派の兵士は差別され、宗教的行事抜きに埋葬されたことから同派の抗議活動が生まれ、ニコライ二世が1905年に寛容勅令を出すまでに至ります。そこで社会の表舞台に出てきた古儀式派が第一次ロシア革命を担っていくのです。
勤勉さと世俗的禁欲を説く古儀式派は日露戦争終了後には人口の3分の1と巨大な企業活動を有する反体制派の組織として黄金期を迎え、ソビエトの誕生に重要な役割を果たすようになります。
古儀式派であるG・シリャプニコフやビクトル・ノギンといった初期のソビエト政府の高官が重要な「労働人民委員部」に配属されていたことは、当時の古儀式派の影響力の大きさを示しているでしょう。
初期の革命の担い手は教科書でいわれるようなポリシェビキ党ではなく、福音書を手にした労働者たちであったとは驚きです。
しかしながら、その後はレーニンら急進派の無神論者が主導権をつかむことになりますが、そのレーニンの死後、彼を神格化しようとする動きがあったことは皮肉であり興味深いですね。
無神論・・・宗教はアヘン
建神派・・・プロレタリアートの神を作り出すべき
古儀式派・・・ヤハウェ信仰
「キリスト教のような宗教からは自由になっても、「信仰」や「崇拝」そのものからは必ずしも自由になれないことは、フランス革命でも「理性」信仰にも現れていた。」
この一節はある意味人間の本質をついているように感じます。
光あるうち光の中を歩め
こちら読みました
本書の舞台は古代ローマ、生活上の不満足は何もない主人公と、哲学に秀で、原始キリスト教を学んだ幼馴染の二人が交差しながら物語は進んでいきます。
原始キリスト教の生活は常に仲間を思いやる崇高な理念を掲げているものの、私有財産の否定など現代の日本では実践が不可能に近いです。
しかしながら、ビジネスに成功し、美しい女性と婚約し、考えうる成功は一通り果たしたものの、どこか満たされず空回りしている主人公の姿は現代の日本人にも重なるところが多く、いくつか心に突き刺さる言葉もあります。
生き方に悩む人にとって、何らかのヒントを与えてくれるはずです。
最後にタイトルについて
「光あるうち、光の中を歩め」は新約聖書のヨハネによる福音書に登場する表現です。
イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。
イエスは答えられた、「一日は一二時間あるではないか。昼間歩けば、人はつまずくことはない。この世の光を見ているからである。しかし、夜歩けば、つまずく。その人のうちに光がないからである」。
そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光があるうちに歩いて、闇に追いつかれないようにしなさい。。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。光のある間に、光のことなるために、光を信じなさい」。