人はどう生きるか。

Ecclesiastes 3:11

1941 決意なき開戦 ー現代日本の起源ー

こちら読みました

 

1941 決意なき開戦: 現代日本の起源

1941 決意なき開戦: 現代日本の起源

 

 堀田さんは最初この本をアメリカで出版しその後の反響を受けて日本語でも出版しました。そのためか、少々日本語として読みずらい気もしますが気にする必要はないと思います。

 

本書では日米開戦に至るまでの経緯を一次資料に基づきながら説明しており、戦争を防ぐチャンスは何度もあったと主張。しかしそれらを生かすことが出来なかったのは、

・日本がアジアのリーダーにならなけらばならないとした帝国主義イデオロギー

・海軍、陸軍をはじめとした各幕僚の縦割り

・組織間の不必要な帰属意識と競争意識

・中国撤兵などの意思決定による政治的リスクをとりたがらない

など原因はたくさん考えられます。

 

ただ何とも言い難いのは、結局いつどこでだれが悪かったのか、白黒つけて示すことが難しいということです。個人の問題なのか、組織なのか、政治制度なのか、それとも日本人の文化的な背景によるのか。本書で一つ学べることは、これが分からないということでしょう。

 

 

以下引用

ナチスが中立条約を破棄してソ連に侵攻した際、三国同盟破棄のチャンスが訪れたが、松岡外相と東條陸相は破棄に反対した。

仏印ベトナム)進駐の際、ルーズベルトから米大使の野村に仏印中立化案が提案された。資産凍結や石油の禁輸解除、日中問題との切り分けなど、好条件で和平交渉が可能であったにも関わらず、外相の豊田、首相の近衛が世論・軍部を振り切って決断することが出来なかった。

・その後、近衛とルーズベルトの首脳会談に向け、南進派の軍部からも合意が取れたにもかかわらず、上記の中立化案を先に拒否してしまい、交渉の道がさらに狭めた。

・東條は、戦略研究生たち全員が演習で日米戦争における日本の敗北を結論付けた(そもそもフィリピンの米軍によって石油の輸送路を絶たれることは明らか)が、日露戦争を引き合いに出して「勝てると思わなかった日露戦争に、大和魂で勝ったのだ。机上の空論ではないのか」と反論。これに対して研究生の開戦反対派の筆頭である志村は「それならアメリカにもヤンキー魂がある。一方だけ算定して他方を無視するのは間違いです」と反論。

・気高い血筋も知性も、効果的なリーダーシップの保証ではなかったことを、身をもって証明した。政策が決められる議論の場で、自分の意見をはっきり述べず、自身の手を汚すことを極端い嫌い、事なかれ主義に走り、対立を避け続けた成れの果てが、外交交渉と開戦準備の期限付きの同時進行だった。ー近衛についてー

・1941年秋、アメリカは日本の500倍の石油、12倍の銑鉄、9倍の鋼塊と銅、7倍のアルミニウム産出量があると報告された。産業分野も含めると、アメリカの工業生産能力は日本の74倍以上という数字になった。

・1941年7月、年初の御前会議で「対英米戦ヲ辞セズ」とした見せかけの決意が、日本の外交方針の不可侵かつ最優先事項として君臨していた。9月の御前会議で、外交起源という物理的要素が加わったその「決意」は、さらにその重要性、緊急性を増した。すでに弾みがついてしまった開戦準備に対抗するのは、至難の業となっていた。