聖書時代史 新約編
こちら読みました
最近は旧約聖書、新約聖書を読むようになったため古代オリエント、中東の歴史に興味を持っています。勉強しながらわかることは、当時の人たちと現代の私たち、基本は変わらず
私たちはどこから来てどこへ行くのか
私たちはいかに生きるべきか
という根本的な問いについて探し求めているということです。私たち人間の全ての基本ですね。
前提知識
ということで本の内容に移るのですが、タイトルからもわかるように初期キリスト教の話です。ご存じない方もいらっしゃると思うのですが、そもそもキリスト教という宗教は存在していませんでした。イエス・キリストは言ってしまえばルターのような宗教改革者(のボス的存在)です。
ユダヤの伝統的な律法学者からみれば自分たちを論破するわ権威を脅かすわの、いわば目の上のたんこぶ的な存在で女性スキャンダルやカルト教祖としたてあげることで攻撃を図りました。
そしてイエスが十字架につけられ、その後キリスト教を率先して潰しにかかっていたインテリのパウロが回心してギリシャ地方にまで強力に伝道活動を推し進め、現在のキリスト教の基礎を作り上げたのです。
この本ではイエスの誕生から2世紀までの時代を扱っています。それでは見ていきましょう。
紀元前後のユダヤ
紀元26年、ローマの属州であるユダヤに福音書で有名なピラトゥスが総督に就任します。この時期のユダヤ教には以下のようなグループが存在していました。
- ファリサイ派…(庶民派…口頭伝承を重視)
- エッセネ派…(庶民派…律法にのっとって日常生活を規定する)
- サドカイ派…(体制派…神殿体制を担う貴族司祭たちが権益を守ろうとする)
- ヘロデ党…(体制派…ヘロデ王家の支持者)
- 熱心党…(武装集団)
また、当時の風潮としてサドカイ派以外に影響を与えた「黙示思想」があります。イスラエルの迫害や苦難の歴史から生まれたもので、今の苦しみも後の救済のために耐えるべきだといった考え方です。ヘロデ王家の圧政も相まってユダヤ全土に広がりました。
イエスの死後
最初に述べた通り、イエスは伝統的な(形式的な)ユダヤ教徒を批判し結果として十字架につけられました。このようなある一派のリーダー格的な存在の死というのは普通歴史に記憶されないのが常でありますが、イエスの教えを受けた人々は弟子たちを中心に伝道活動を推し進めていきました。
また、中にはギリシャ文化の流れを汲む者たち(ステパノをはじめとしたヘレニスト)も現れ、インテリでかつイエスの弟子たちを迫害していたパウロも改心して加わり、独自の路線を歩むようになります。
一方エルサレムに残った保守的なイエス派の人々は42年, ヘロデ・アグリッパによって迫害され壊滅的な打撃を受けました。
また69年には圧政と困窮に耐えかねたユダヤ教抗戦派の人々が反乱を起こし第一次ユダヤ戦争が勃発し、結果としてエルサレムは徹底的に破壊され、ユダヤは壊滅に追い込まれます。 (しかし穏健派の一部は他の地域でシナゴーグを建設し、不死鳥のようにユダヤ教を蘇らせていくことに)
中国思想史 上
ってことで読みます。
この本は
中国思想の特徴と
いかに諸子百家と呼ばれるインテリ浪人が活躍し
その後どうなったか
について記述されています。
中国思想の特徴は一言で言うと、"政治的"
春秋戦国時代に栄えたのも、国と国が争う時代だったからと言えます。
しかし、最初から政治的な色合いを帯びていたわけではないようです
春秋戦国時代には主流派として以下の3つがありました
流れとしては
周の封建制崩壊→孔子の登場→墨子、孟子が活躍(当時は儒墨と呼ばれる二大勢力に)
僕が個人的には読んでいて面白かったのは墨家の存在です。
今でこそ儒家の陰に隠れていますが、彼らの思想は
儒家が仁(まずは身内から、差別的な愛)
に対して
墨家は兼愛(分け隔てることのない、普遍的な愛)
を説いたこと
儒家が無神論であるにもかかわらず、冠婚葬祭、様々な儀式を好んだ
のに対し
墨家は国家が倹約すべきと説いたりと
結構現代から見てもまともなことを言っているように感じます。彼らが生きたのは2400年前。イエスが生まれる前だと考えても、その思想の特異さ(諸子百家でほぼ唯一の有神論)がわかりますし、いったい何者だったのか気になります。
ただ、儒家が主流となったことで墨家の資料は失われてしまいました。再び注目されたのは、清の時代、列強に侵略された時に西洋にあって中国にないものを探そうとして注目さるまで、2000年の時を経ています。
むしろ、ロシアの作家トルストイが最初に墨家を評価したと言われるほど中国では日の目を見ることはありませんでした。
一般的なイメージで、孔子が四大聖人と言われてそうなのかと考えていましたが、
こうして墨家の存在を知るとむしろこちらを四大聖人と呼ぶのが適切ではないかと考えてしまいますね。
君たちはどう生きるか
こちら、読みました
実はその前にこちらも読んでいました
適当に書店で手にとって、買ってみたところアマゾンでは歴史的名著と呼ばれているとか。漫画の方はだいぶ飛ばし気味で展開の速さや主人公の心象の変化がうまくつかめない方が多いのではないかと思います。
本のポイントとしては、主人公コペルくんとその叔父さんのやりとりを通して
・わたしたちが生きる上で大切な”ものの見方”
・常に選択を迫られる人生、何が良くて何が悪いのか
を読者にも考えてもらおうという内容
高度経済成長期の成功体験から、そこそこの生活・人並みの幸せ・安定などを求めるようになったわたしたちにとって、示唆に富んだ内容ですね(むしろ、わたしたち日本人の方が戦前と変わっていない)
印象的な部分をピックアップ
真実の経験について(おじさんのノート)
「肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず人間の立派さがどこにあるのか、それを本当に君の魂で知ることだ。…他人の目に立派に見えるように見えるようにと、ふるまっているひとがずいぶんある。そういうひとは、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということをついお留守にしてしまうものだ。」
偉大な人間とはどんな人か(おじさんのノート)
特にナポレオンの下りはどの時代においても変わらないものの見方かと。なぜなぜ思考で分析していった末に、ナポレオンは結局何を得たのか?賞賛を集める彼の生き方に対して最も思うことはないのか?、著者はそこを考えて欲しいのでしょう。
何がどうあれこのタイトル・テーマで本が出版され、多くの方々に親しまれているのは嬉しいですね。著者が生きていたのは戦前の日本ですから、様々に思うところはあります。
本当のイエス ー考古学で探る”神の子”の生と死ー
ナショナルジオグラフィックの12月号を通り崖の本屋さんで
ナショナル ジオグラフィック日本版 2017年12月号 [雑誌]
- 作者: ナショナルジオグラフィック
- 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
- 発売日: 2017/11/30
- メディア: 雑誌
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内容はイエスが実在したのかどうか、考古学からの視点で検証している
基本的に歴史的な観点からイエスを研究する学者には
・福音書に書かれている通りのことを信じる
・歴史研究と福音書の分析が大切
と考える2通りがあるそう。後者に分があると考えられる。
内容のポイントとしては
・一部の懐疑派以外、イエスの実在性まで疑う者は少数派
・イエスの出生地ガリラヤは、今までギリシャ・多神教の文化が強いものと考えられてきたが、2009年にシナゴーグ(ユダヤ教の教会)が発見された
・大勢の人々が癒しを求めてきた福音書の記述は、1世紀のパレスチナが重い皮膚病や結核などの病気が流行していた事実と一致している
・ヨハネによる福音書のに記述されている”ベトサダの池”はその実在が疑われていたが、古い教会の下からその痕跡が発掘された
と全体的に肯定する話が多い印象。
いずれにせよ、当時ユダヤ教の異端、カルトの一派として扱われていたイエスの教えが20億人の支持を受けることになるとはだれもそうぞうできなかったでしょうね。